皆さん、こんにちは。。。
今回は、馬場が担当します
2025年初めてのブログになりますので、改めて今年もどうぞよろしくお願いいたします
今年の1月17日で阪神淡路大震災から30年になります。私はちょうど地震発生のその時は、
神戸市須磨区の自宅にはおらず職場の方たちと岐阜にスキーに行ってました。
そして朝食時のテレビのニュースで私が通勤する神戸の町がえらいことになっていることを知り、
すぐに戻らないと…となりました。
しかし、尼崎までは戻ってこれたもののそこから自宅まで戻る手段がなく、その日は先輩の車で
寝泊まりし、2.3日大阪の友達の家に泊まらせてもらったりしていたのですが、ずっと…とい
うわけにはいかないので、職場の先輩に自転車を借りて自宅まで7時間かけて帰りました。電動
自転車もその時代はありませんし、若かったとはいえ、さすがにしんどかったです。
国道2号線沿いの家屋が倒れた神戸の街の惨さを目の当たりにし、胸が張り裂ける思いでひたすら
自転車を漕ぎ続けたことを思い出します。
私の自宅は須磨と言っても山の方だったので、ほとんど被害はなかったのですが、海側はとにかく
ひどく、通勤も電車でJRと阪急と乗り継ぎながら、尼崎までいつもの倍の時間かけて通いました。
あの時は、仕事もしばらくはいつも通りとはいかず、被災しておられる体育館に出向き体操をした
記憶があります。
改めて、自然災害はいつ起こるか分からないので、災害対策として出来ることをもう一度考えて
取り組んでおこう…と思いました。